写真家であり、冒険家で作家でもある多彩な才能を併せ持つ石川直樹さん。
多くの有名な山にも登頂し私たちが見れない世界を写し続ける、他のカメラマンとは一線を画す石川直樹さんは辺境の地に行く時にどんなカメラを持って行くのでしょうか?
気になる愛用のカメラから、想像を超える景色が映る写真集まで石川直樹さんのプロフィールと共にリサーチしてみました。
写真家 石川直樹とは(プロフィール)
石川 直樹(いしかわ なおき) 1977年6月30日ー41歳 東京都渋谷区
早稲田大学第二文学部歴史民俗系専修卒ー東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了ー多摩美術大学芸術人類学研究所研究員
写真家、そして冒険家として知られている石川直樹さん。
極地や辺境も含め世界中の様々な土地を旅し、エベレストにも登ったことがある石川さんの出身地は、意外にも東京都渋谷区。
1977年に都会のど真ん中で生まれました。
幼稚園から高校までは暁星学園という私立の男子校に通います。
小学生の頃はサッカー少年でしたが、同時に『トム・ソーヤーの冒険』や『ロビンソン・クルーソー』を読むなど冒険物語に夢中になっていました。
写真家であり冒険家として顔
石川さんの初めての一人旅は中学2年生の頃。
坂本龍馬の故郷を訪ねて高知県へ。
そして高校2年生の時には初の海外旅行一人旅へ。
インドとネパールを訪れます。
そして早稲田大学の大学生だった2000年には、北極点から南極点までを人力で移動する「Pole to Pole2000」に日本の代表として参加。
世界7カ国の若者と一緒に9ヶ月間もの間、スキーや自転車、カヤック、徒歩といった手段で地球縦断に成功します。
さらに翌年23歳で世界七大陸最高峰登頂を当時世界最年少で達成しました。
2002年に大学を卒業し、その後2004年に冒険家の神田道夫さんとともに熱気球で太平洋横断を試みますが海に不時着し失敗に終わり二人は九死に一生を得ます。
2005年には東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了、3年後には同大学の博士後期課程を修了します。
現在は世界各地を旅し続け、民俗学や文化人類学といった領域にも興味をもち、自分が素直に反応したものにシャッターを切ることを大切にして作品を撮り続けています。
今後の行ってみたい場所としては、標高26,000メートルの太陽系でもっとも高い山と言われる火星のオリンポス山を挙げられています。
「冒険家」として紹介されることも多い石川さんですが、未知のフロンティアを開拓したり前人未到の地に足を踏み入れたりしたわけでもないと言い、ご自身は「冒険家」であることを否定しています。
8,000メートル級の山々への登頂も経験しており、登山のキャリアも素晴らしいのですが、あくまで山に登ることではなく写真を撮ることが石川さんの旅の目的です。
山に登ることは「垂直方向への旅」という考え方をされています。
尊敬する写真家は森山大道さんで「Pole to Pole」のプロジェクトを終えた後に写真を見てもらったことがあるそうです。
同じ写真を新聞社の方にも見せるも評価されず「新聞では使えない」と一蹴されてしまいましたが森山さんに「シロクマが遠くのほうに米粒みたいにちっちゃく写ってる写真」を褒めてもらい、ここで旅と写真を続ける励みを得たそうです。
石川直樹さんが使用するカメラ
石川さんが本格的に撮影をしはじめたのは「Pole to Pole」の際に新聞社からたくさんのフィルムを提供された頃。
Plaubel makina67
現在では中判のブローニーフィルムを使用する蛇腹折りたたみ式の「プラウベルマキナ670」を愛用しています。
このカメラを使い始めたのは石川直樹さんが23歳の頃。
ドイツ製の20年以上前のモデルで、すでに廃盤になっているものを中古で入手されました。
同じものを4台も持っているそうです。
時にはデジタルカメラを使用することもありますが、代表的な作品の大半は「プラウベルマキナ670」によって撮影されました。
また撮影ではほとんど白黒のフィルムを用いることはありません。
単焦点レンズでの撮影は被写体との距離をありのままに写すことができます。
自分の体が反応した時にシャッターを切る、そんな石川さんの撮影スタイルと道具とがぴったり呼応しているように感じます。
石川さんの著書『ぼくの道具』によると
Mamiya 7II
他には「マミヤ7Ⅱ」を使用されています。
またフィルムはコダックを使われています。
サブ機はOLYMPUS OM-D
サブ機として「OLYMPUS OM-D」のミラーレスカメラも使用されるようです。
ただデジタルではなくフィルムを主に使用しているのは、実際に自分で目にした風景に近い形で仕上げることができること、枚数の制限のある中で撮影できることが理由だそうです。
富士フィルム 写ルンです
プロの写真家が「写ルンです」を使うの?とびっくりするかもしれませんが、これには旅する写真家ならではの理由があります。
気温の低い極地などでは、電池切れや故障などのアクシデントが発生する可能性も。
南極に行った際も持参した3台の一眼レフカメラがすべて壊れてしまったことがあるそうです。
そこで落としても壊れず、水や水蒸気にも強いこのカメラを活用しているのです。
石川さんが初めて出版した写真集『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』の撮影に使われた写真には、前述の森山大道さんに褒められたというシロクマの写真がありますが、これも「写ルンです」で撮影されました。
熱気球での太平洋横断を試みた際に着水し太平洋に放棄したゴンドラがめぐりめぐって、4年半後に悪石島に漂着し、その中から見つかったのがこのカメラだったのです。
石川直樹さんの公式サイト・インスタグラム
活躍するフィールドのスケールがとても大きく撮影はアナログな石川直樹さんですが、公式サイトやインスタグラムもしっかりと更新されています。
今どんなところを旅しているのか?
そんな様子が知りたい時にうってつけの公式サイトとインスタグラムもチェックして行きましょう!
公式サイト
石川直樹さんの公式サイト「NAOKI ISHIKAWA WEB SITE」では最新のニュースから作品情報まで細かく掲載されています。
またブログでは更新頻度は少ないものの登山日記が記されていて、カメラ以外の登山に持って行った道具や食べ物まで記載されています。
カメラマンでも山での撮影をされる方には参考になるかも?
ちょっと登る山のスケールがデカすぎるかもしれませんが(笑)
インスタグラム
straightree8848のアカウントで更新されている石川直樹さんのインスタグラムは、フォロワー18万以上!
かなり更新頻度も高く、さらに日本では見れないような景色の数々がたくさん掲載されています。
各国の景色は時に幻想的で、時にすの国のリアルが垣間見える美しい写真の数々。
一見の価値ありです!
石川直樹さんの写真集
石川直樹さんははこれまでに写真集を20冊ほど出版されています。
代表的なものとして
NEW DIMENSION
世界に点在する先史時代の洞窟壁画を撮影した『NEW DIMENSION』
POLAR
北極圏の10年にわたる旅の記録をまとめた『POLAR』
この『POLAR』では日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞を受賞しています。
CORONA
その他にも代表的な写真集としては登った山ごとにまとめられた
Lhotse ローツェ
Qomolangma チョモランマ
Manaslu マナスル
Makalu マカルー
K2
などがSLANTより出版されています。
髪
富士山に登る
著述家としても活躍
芥川賞を受賞した小説家・石川淳の孫でもある石川さんは著述家としても素晴らしい文才を発揮しています。
最後の冒険家
この地球を受け継ぐ者へ
ぼくの道具
石川直樹さんの写真展
「石川直樹 この星の光の地図を写す」 オペラシティ
石川さんの写真展は毎年様々な場所で開催されていますが、これまでの石川さんの約20年の活動を概観できる大規模な個展「石川直樹 この星の光の地図を写す」が開催されており東京オペラシティ アートギャラリーで2019年1月12日(土)〜3月24日(日)まで開催中です。
会場では北極圏にある街の風景やポリネシアの島々、世界2番目に高いとされるK2をはじめとした真っ白な雪をかぶった山の姿などを見ることができます。
その他にも石川直樹さんの作品は、東京都現代美術館や東京都写真美術館、横浜美術館など全国の美術館にも収蔵されていますので、それぞれの館の展覧会などでご覧になれる機会もあるかと思います。
さらに石川直樹さんの作品は新潟と越後湯沢間を結ぶ「現美新幹線」にも選ばれていますので、新潟方面に旅する時には新幹線の中で石川直樹ワールドに浸ることもできます。
石川直樹さんまとめ
知れば知るほど、やはりその凄さがわかる石川直樹さん。
実は以前に石川直樹さんの講演を見にいったことがあるのですが、その凄さとは裏腹におっとりとした印象を受けました。
ですが話す内容からは、どこまでも飽きない探究心からいつまでも旅を続けるんだろうな。という内に秘める強さが感じられました。
その時にも、もう次に登る山の予定なども話されていましたし、自分が好きなことでどんどん突き進んで忙しくされている様は憧れます。
石川直樹さんの写真を見ていると、ここではないどこか人がいけない場所で撮影して見たい。そんな気持ちにさせられてしまいます。